毎年恒例*優しいおうち*訪問 [friends]
とても大切な友人kimiちゃんが虹の橋を渡って早3年。
今年も共通の友人Kumiちゃんと共に先月の半ば、お墓参りに行ってきた。
*写真のおうちは、Kumiちゃんに頂いた焼き菓子のお土産♪ ありがとう!
kimiちゃんは私より6歳年上の昔の職場の先輩。
ずっとクリエイティブなお仕事に携わりたいと思い
高校卒業後もそういう学校に進学したかった私ですが、
兄もいたし、家の経済状況がそれを許してくれなかったので
私は高校卒業と同時に横浜のデパートに就職した。
∑( ̄口 ̄;)ボクにゃん!中身はっ!?
それでも夢はあきらめきれなかったので、働きながらレタリングの学校に通い
(当時、パソコンはそれほど普及しておらず、POPや看板は手書きが主流だった。)
技術を習得した。
デパートでの仕事は正直馴染めなかった・・・・。
自分とは感性も価値観もすべてが異なり違和感だらけ。
楽しいこともあったけど、今思い返しても苦痛な感覚だけ残っている。
もちろん、生き生きと仕事してる方もいるし、合ってる人は合ってるので
あくまでも、私の場合・・・ですけどね。
そうして、とある会社にPOPライターとして転職し
「こういう人に出会いたかった!」“こういう人”、kimiちゃんに出会ったのだった。
今まで私の周りに居なかった感性の持ち主で、
「可愛い」「オモシロイ」「好き」の基準が相当オモシロイ。
そして何よりその人間性が素敵だった。
「やだなぁ。食べてませんよ。元に戻しました。」(´ー`;)ほっ
乳がんになってからも周囲に気を配ることを忘れず
お世話になった方々に感謝し続け
身に起こったどう見ても不幸な事も、そのおかげで発見出来たことや
出会えた人がいる・・と常にポジティブシンキング。
なんで自分がこんなことに・・と思わなかったわけはないと思うけど
そんな愚痴や嘆きはなく、どうやったらこの状況を快適に改善出来るかとか・・
再発のため、神経を圧迫したブツのせいで右手が動かなくなった時も
左手で出来る事や便利グッズを発見しては楽しそうに報告してくれて
とにかく前向きな人だった。
「ののさん。この焼き菓子はかなり美味しいですね!」
「ゴーヤはボクにゃんは要りませんよ;」・・・・駄目です。せっかくkimiちゃんのお母さんに頂いたんですから、食べなさい。
我が家が窮地に立った時も、自分の体調が優れないのに
「何か出来ることがあったら、何でも言ってね」と私を気遣ってくれたり
起き上がれないくらいな体調だった時も、
私が送った梨のお礼にと、ヒーハーTシャツを旦那さまに申し込み頼んでおいてくれたり
最期までやってくれるよ、kimiちゃん・・・・・と泣き笑い。
残された旦那様一人、新築のおうちでしばらくは放心状態だったようで
(新築のお家は、右手が使えなかったkimiちゃんのために、
旦那様手作りの工夫がそこここに凝らしてあるとても優しいお家なのでした。)
一年後の訪問の時は、全く生活感がなく、kimiちゃんが居た頃のままの状態。
2年後の去年は、だいぶ笑顔も戻ってきて、でもやっぱりどこか生活感なかったけど
今年は・・・・・
こんなことしてたり・・・・・・(笑)
そして、なんといっても驚いたのは
なんと、冷凍庫一掃してました!(@@)
そして、kimiちゃんの残したいろんな物も、一掃計画実施中で・・
よかったら私たちに貰っていって欲しいと!
なんて有り難いこと!
Kumiちゃんと二人、嬉々として頂きに上がったのですが・・・・
あまりにも大量の雑貨たちに一つ一つ見て、想い出を語り合って笑って
選別して・・・・とやってたら時間が足りない!(^^;)
半分ぐらい見たところで、「また来年」とw
旦那様には申し訳ないけどまたそのままの状態で一年取っておいてもらうことに。
それでもたくさんの物をお持ち帰り。
折りたたみ傘やらマウスパッドやらバッグやらメモ帳に封筒・・・・・
うちにkimiちゃんが来てくれたみたいで、ちょっと嬉しい♪(^^)
頂いてきた物の一つ。GRACE FABLIAU(グレイス・ファブリオ)の時計。
電池が切れてたのか、壊れてたのか
全く動いてなかったのでとりあえず時計屋さんに電池交換に持ってった。
時計屋のおじさんがおっしゃるには
最初、電池換えても動かなくて、壊れてるのかな・・と思ったけど
しばらく置いておいたら動き出したんだよね~よかったよぉ(^^)
と、眼鏡の奥の優しい眼差しにちょっとウルッときた・・・(TT)
よかったよかった♪ 動いたよ、とkimiちゃんの旦那様に
時計屋のおじさんの話をメールした。
「使ってもらって嬉しいです。
たぶん時計も頑張ったんでしょう。」
そして、止まっていた時間は動き出した。